この藤は、小田原城二の丸御殿に鉢植えされていた藩主・大久保氏のもので、明治維新後、市内板橋の森元氏の手に渡り、明治16年に市内唐人町(浜町)の西村氏が買い受けて育てられたと伝えられています。
大正天皇が皇太子のとき、小田原御用邸の滞在中のある日、西村邸の前通った際、召馬が藤棚の下に駈け入ったために皇太子の肩に花が散りかかってしまいました。周囲の人々が恐縮していると「見事な花に心なきことよ」と感嘆されたことから、「御感の藤」と呼ばれるようになりました。
その後、大正11年、小田原保勝会・尾崎 亮司氏(小伊勢屋16代当主)の尽力によって、旧唐人町から現在の位置に2株加えて移し植えられました。
最近は老齢のため樹勢が落ちましたが、5月上旬には、紫色の花房が見事に垂れ下がります。
花房が1メートルあまりにもなる見事な藤棚です。神奈川県名木百選・小田原市天然記念物に指定されています。