小田原城の歴史は、応永24年(1417年)に大森頼春が小田原入部し、小田原城を築城したといわれています。
永禄4年(1561年)長尾影虎(上杉謙 信)が小田原城に来攻。このころまでに本丸が現在地に移り、二の丸の外郭ができました。
永禄12年(1569年)今度は、武田信玄が小田原に攻め込みました。
この後、三の丸外郭構築に着手し、天正15年(1587年)に小田原城の大修理・整備工行事がわれ、三の丸外郭が完成したといわれています。
天正18年には、豊臣秀吉の侵攻に備え、大外郭をほぼ完成させ、このころ中世日本で最大の城になりました。
その後、「小田原合戦」により、北条氏は豊臣軍に降伏し、徳川家康の家臣・大久保氏が入城。小田原城は三の丸以内に規模縮小されました。
それから明治3年 (1870年)の廃城まで小田原のシンボルとしてそびえていました。
復興がはじまったのは、昭和9年の二の丸隅の平櫓からで、昭和35年、天守閣が復興し、続いて常盤木門、銅門が次々に再建され、現在に至っています。